2008年1月28日月曜日

目撃

朝5時半過ぎ出発で横浜鶴見から帰宅の途に。

今朝の首都高速はいつもより交通量が多い。月末の週初めだからだろうか?
それでもいつものように快調に一号線から浜崎橋を抜けて、八重洲トンネルに入ると、出口前から渋滞が・・・余程、環状線が混雑??が、この時間帯には珍しい。
原因は、事故

竹橋前の一ツ橋でタンクローリーとミニバンの衝突事故を目撃。

急な追い越しや、強引な車線変更、無謀な運転も多いが、二車線を急に一車線に絞るような道路の設定そのものにも問題はないのだろうか

2008年1月27日日曜日

平間寺

早朝からご繁栄の川崎大師
朝7時だというのに大師公園の駐車場は既に満車で、大師河原自動車祈祷殿駐車場へ。仲見世は賑やかな売り子の声が響く。
弘法大師の御威光か・・・・
「大願成就」かで悩むも、「『大願』と云えるほどの願いもなし」と「心願成就」で護摩を申し込む。
・・・・・・・・・・ところで、消防車のご祈祷は公費なのだろうか??

2008年1月24日木曜日

いのうえ歌舞伎 『IZO』

さて、かつては東邦生命ビルと呼ばれた渋谷クロスタワーを横目に、青山通りを宮益坂上へ上る。
青山通りというと、何故か「アビロードの街」(by かぐや姫 1973)を口ずさみたくなる。なんて云って、納得してくれる人は間違いなく40代後半以降だろう。
やがて本日の目的地である青山劇場(アオゲキ)に到着、Kさんと合流。新感線プロデュースいのうえ歌舞伎「IZOを観賞。
劇団新感線主宰、演出家、作家のいのうえひでのり氏の手になる芝居は、常に期待を裏切らない。
今回は、V6の森田剛が主演で幕末の刺客、岡田以蔵を演じる。
「天に飼われ、天に捨てられ、天に裁かれた犬。その名は以蔵。人斬り以蔵。」
 その無骨なまでの素直さと、それ故の残酷と悲しさを、森田が熱演した。
武市半平太を田辺誠一、勝海舟を粟根まこと、坂本龍馬を池田鉄洋、田中新兵衛を山内圭哉らが演じ、木場克己、西岡徳馬(山内容堂)らとともにがっちり脇を固める。
 剣でしか自己表現ができない以蔵(森田)が、「天が剣を使わせるとき。それは暗殺とは言わんがです。天誅と言うがじゃ。」言えば、以蔵の幼なじみミツを演じる戸田恵梨香が初舞台とは思えない堂々たる芝居で「剣は身体を斬るけれど、心を斬れるのは言葉だけよ」と言う。月並みな言葉ではあるが、テロの時代と云われる今、ズシンと重い。
 暗殺を咎められ容堂(西岡)から尋問される場面、「おまえの天(暗殺を命じた者)は誰だ?」と問われ、「天とは動くものです。」と答える以蔵。
信じるものとは、仕える人とは、それは絶対なものだろうか? 
幕末からはるかの今、社会や組織の一員でありながら、社会も組織も確実な存在なのだろうか? 自分も、天(社会や組織)に飼われた犬にすぎないのか、そしていつか捨てられ、裁かれるのか? 以蔵の悲しみが、現実的な思いとなって胸を打つ。
ラストシーン、処刑のために刑場にひきたてられる以蔵の上に、まんさく黄色花びらが降り注ぐ。以蔵が愛し愛されたミツの花、まんさく・・・・ 
気づけば、頬伝う涙をおさえることができない。客席そちこちにも、すすり泣きが。
当然、満場スタンディング。
まさに期待以上の名演だった。

2008年1月18日金曜日

We are all in the gutter, but some of us are looking at the stars

夜、琉球大学薬物作用制御学教授の植田真一郎先生による「これからの臨床研究への提言」と題する講演を聴いた。
1947年医学史上初の無作為化臨床試験ストレプトマシン・スタディがおこおこなわれた英国での御留学経験もある植田教授は、横浜市立大学におられた頃から臨床薬理、臨床試験のトップランナー。
今夜も、二重盲検法と比べて、高血圧の大規模介入試験で導入されたPROBE法(前向き無作為オープン結果遮蔽法)の限界と問題点を指摘し、日本発の高血圧への介入試験であるJIKEIHARTやCASE-Jにも批判を加えた。
しかし同時に、かつて「独自の大規模試験のデータを持たないで、遺伝的背景、環境もまったく異なる欧米のデータを使ってどうやって長期予後を視野に入れた治療をするのか」と、英国レスター大学の教授であったDr.Swalesに”Text Book of Hypertension”で皮肉られ日本が、大規模試験を行い発信することの意義も高く評価した。

講演の最後に示したスライドは英国派?の教授らしく、アイルランド出身の劇作家・詩人であるオスカー・ワイルドOscar Wildeの肖像とその代表的戯曲「Lady Wintermere's Fan/ ウィンダミア卿夫人の扇(1893)」の一節
"We are all in the gutter,
   but some of us are looking at the stars."

 「我々はゴミための中にいる、しかし、そのうち何人かは星を見上げている」
 座右の銘のだろうか。

EBMを求めて臨床試験濫発、さらにその解釈に百家争鳴・・・・だが
   真理は・・ ある・・・・と云うことなのだろうか。 含蓄のある言葉だ。

 Oscar Wildeは同じ「ウィンダミア卿夫人の扇」でこうもいっている
 ”Experience is the name gives to their mistakes" 
  「体験とは自分のあやまちにつける名前である」
    
これはまた手厳しいが、....
     納得......してしまう。

2008年1月1日火曜日

2008年元旦


穏やかな新年を迎えた。
大晦日は21時過ぎから爆睡で、新年を告げる横浜港からの汽笛(1月1日0時に横浜港に停泊中の船が汽笛を鳴らす)も聞きそびれた。
朝、近くの観音様とお稲荷様に新年の御挨拶にまわり、鶴見川から横浜みなとみらいを望む。