2008年3月30日日曜日

坐唯杏

このところ、池袋での観劇後の飲み会は別の店を利用することが多かったので、坐唯杏は久しぶり。

坐唯杏といえば、まずは?「四川坦々うどん」。その辛さはかつてよりやや手加減されたようにも感じたが・・・

予約時注文の「鯨の尾の身」は絶品、とろける。

本日までの「クエ鍋」も賞味した。


なんと幸運な出会いもあって、大満足。

キャラメルボックス公演『きみがいた時間 ぼくのいく時間』


初日につづき二度目の観賞。
まず何よりも、ヒロイン紘未演じる西山繭子が堅さがぬけて格段に良くなっている。
冒頭のダンスシーンから、まるで年来の劇団員であったかのように周りにとけ込んで、息のあったところをみせる。
芝居全体のテンポも益々ヒートアップ、主役の上川隆也の生き生きとした演技がさえ渡り、語り手役もつとめる岡内美喜子が見事に芝居を転回して演じわける。
二幕、そしてラストシーンを知っているだけに、一幕後半からもう目頭が・・・
休憩をはさんで二幕は、抑えた演技の坂口理恵が良い。想えども報われぬおもいを、ただつくすことで遂げる女性を好演する。今回は梶尾真治の原作も読んでのぞんだのだが、原作に坂口演じる純子の設定はない。しかも、ラストシーンが少々違ってもいる。
実は、ラストシーンは原作の方が好みなのだが、純子(坂口)の存在故に、成井豊脚本のラストも是とすべき。

どこかに未来から愛する者のために時を越えてきた人がいるんじゃないだろうか。
いつか自分を救うために、誰かが時を越えて来るんじゃないだろうか。
そんなことを信じてみたくなった。

できれば、もう2.3回観てみたい。

2008年3月27日木曜日

森本にて

Bunkamuraシアターコックーンで観劇後は、やはり森本。
鶏刺し、レバー刺し、つくね刺し(冬季限定:まだまにあった)から始まり、

焼き物はうずら、つくね、




血肝、はつ、しそ巻き・・・


矢継ぎ早に注文し、テンポ良く喰う。
それが森本の流儀。
本日もご馳走様でした。

桜満開




実は、生来の天の邪鬼。
桜はあまり好きではない。
時季が来ると、これ見よがしに咲き誇っているように見えてしまう。
桜の季節というのも、出会いというよりむしろ別れの季節という印象の方が強い。
だが、、その姿は美しい。。

2008年3月9日日曜日

梅かおる大本山

2008年3月6日木曜日

二兎社公演『歌わせたい男たち』


紀伊國屋ホールで二兎社公演『歌わせたい男たち』を鑑賞。作演出は二兎社主催の永井愛。何故か、今で永井作品を観る機会がなかったが、今回は再演となるこの芝居の評判の高さを知り、楽しみに出かけた。
「歌わせたい男たち」の歌わせたい歌とは、「君が代」。

都立高校の音楽講師の仲ミチル(戸田恵子)は、初めて迎える卒業式で、国歌斉唱の伴奏をするようにと校長の与田(大谷亮介)から命じられるが、、ピアノが大の苦手、アガリ性でもある。「私のせいで厳粛な式が台無しになっては……」と、早朝から音楽室にこもり練習に励むが、極度の緊張で具合が悪くなる。そこへ与田や英語教師の片桐(中上雅巳)、社会科教師の拝島(近藤芳正)も出入りして・・・・・・。
 実は、「君が代」の斉唱を拒否し、着席してしまう者が出たら、校長の指導力が問われかねない事態に、ピアノ伴奏者への期待は大きい。

芝居は、不起立・斉唱拒否を貫こうする近藤演じる拝島を校長の与田(大谷)が説得し、あの間挟まれ困るミチル(戸田)という図式が中心で進む。
随所に皮肉を込めたユーモアが、笑いを誘う。だが、笑いながら、笑ってばかりはいられない空寒さを感じる。
ラスト近く、「内心の自由」(日本国憲法19条:思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。)の重要性を説いたかつての自らの主張を暴露され、切れた与田が必死で演説する。「(起立しようと、斉唱しようと)『内心の自由』は犯されない。思うことは自由だ。むしろ、不起立や斉唱拒否は、もはや『内心』でなく『外心』(??)だ。外心の自由は保証されていない」。まさに愚にもつかない詭弁に、場内爆笑。
だが、こうした詭弁が、現実に珍しくないことに気づくと、権力の狡猾さとそれに翻弄される衆愚の危機に恐怖感さえ感じる。
考えさせられることの多い芝居だった。