2007年7月30日月曜日

与党大惨敗の朝

昨日の参議院議員選挙は21回目になるという。
第1回は1947年、この時の全国区最高得票で当選したのは製薬王と云われた星一氏、星製薬創始者で現・星薬科大学は氏が社内に設置した教育部が母体になった。1908年、1937年、1946年の3回衆議院議員にも当選しており、1918年にSF小説も発表(氏の子息はSF作家の星新一)、野口英世のパトロンでもあったらいしい
こうしたマルチな才能が、まさに良識の府にはふさわしい人材であったと思えるのだが、さて60年後の昨日はどうだっただろうか。

2007年7月29日日曜日

キムチの王様


「風の勇気」に力を得て、観劇をご一緒した面々とメトロポリタンプラザの「ちゃんと」へ。
休日の池袋駅構内はさすがに賑やか、そんななかをを求めて一目さん。店集合のK嬢を加えて、総勢7名で日の明るいうちからの開宴となった。
ちゃんとは、チェーン展開の居酒屋だが、このところのお気に入り。価格も割安感があり、メニューが豊富ではずれがない。さすが、美食酒家。とくに、「キムチの王様」(写真掲載)はお気に入り。
注文に応じる若者は良くとおるバリトンで「承知しました。有り難うございます。」と、元気で心地よい。訊けば、役者を目指して修行中とか。
頑張れ、若者 君の未来に乾杯

「カレッジ・オブ・ザ・ウインド」

演劇集団キャラメルボックス公演「カレッジ・オブ・ザ・ウインド」を観にサンシャイン劇場へ。雨のぱらつく中、劇場に到着すると、なにやら少々異様な混雑状況。何とお向かいの会場では、「ウルトラマンフェア」が開催され大盛況。
「カレッジ・オブ・ザ・ウインド」は今回が再々演、1992年が初演こそ観ていないが、2000年の再演はと今回で二度目の鑑賞。今回は、主役のほしみをTVでも顔を見ることの多くなった高部あいが演じ、テーマソングが小田和正。

夏、大学生の高梨ほしみは、家族6人でキャンプに出かける。それは、家族おもいのほしみが提案して始めた年に一度の家族の行事。だが・・・・・・・・・・・・・・・・・・     ほしみが家族と過ごす、最後の夏……。
でも、風の勇気(カレッジ・オブ・ザ・ウインド)が、ほしみを守る。


必死にほしみを演じる高部を、キャラメルボックスの役者たちが見事にサポートし、テンポの良い芝居を作っている。時に上滑りしそうなギャグがスパイスになるのは、本線の確かな芝居があるから。ほしみの叔父とその妻を演じる大内厚雄、岡内美喜子の芝居は、劇団ベテランらしく安定感があって見ごたえがある。
見える見えないとか、聞こえる聞こえないとか、キャラメルボックスの作演出・成井豊の十八番といえば十八番。だが、そんなかでもこの物語は、事故で家族全員を一瞬にして失ったということから始まって、さらに物語中で登場人物が死ぬという悲劇が続く。その悲劇をただの悲劇のままでは終わらせないのが、成井キャラメルボックス。中盤からの泣かせどころ満載に、落涙は禁じ得ない。

「また会おうね。また来年の夏に」

その台詞に、妙に納得した連れ合いは、「なるほど、お盆ってそう言う意味ね。」と。

投票率を上げるには -マイナス投票の提案ー

今日は、参議院議員選挙。実は、TVの選挙速報番組が大好きなので、もうワクワクしているのだが、投票は既に終えている。ここ10年以上は、指定された投票所ではなく、(かつては不在者)期日前投票所で投票している。
近所の知り合い(そう多くはないのだが)に見られながらの投票が嫌だったのが、当初の理由だが、投票日を日曜日一日と考えるより、期日前投票から数日間と考える方が、気分としては余裕ができる。
先日のニュース番組によれば、その期日前投票が今回は5割り増しだという。明らかに、投票行動が意思を持ち結果を求めている結果だとしたら、この国もまだ少しは未来に希望があるかも知れない。
だが、投票用紙を前に鉛筆を握るその瞬間でさえ、右顧左眄、首鼠両端、誰の名を書こうか手が止まることがある。
「(1票を)入れたい人がいない」という投票棄権の理由は、誠に切実で納得できる。
 ならば、「マイナス投票」はどうだろうかと、以前から思っている。「この人だけは当選して欲しくない」という人に、マイナス1票 それじゃつぶし合いになってしまうかも知れないので、マイナスの1票は-0.5(あるいはマイナス投票率×1票)票として、通常のプラス投票から差し引く。少なくとも、投票率は上がると思うのだが。
 得票がマイナスになる候補者も出るかも知れないが、........そんな嫌われ者は選良たる資格無し、はっきりと御自覚していただこう。

2007年7月26日木曜日

喜鵲樓酒家





興奮冷めやらぬと云うより、じんわりと心にしみこむような芝居を観たあとは、お気に入りのチャイニーズレストランのひとつ喜鵲樓酒家で、早めの夕食。
天王洲シーフォートスクエアにあるここは、窓から運河と新幹線が見える。
京浜運河を挟んだ対岸は品川埠頭、そlこに新幹線の引き込み線がある。引き込み線は、JR東海大井ターミナルの新幹線車両庫へつながるらしい。
 16周年を迎えるという喜鵲樓酒家は、都市型商業施設における失敗の見本とも思えるシーフォートスクエア(店舗の入れ替わりが激しく、空き店舗スペースも多い)にありながら、私の知るかぎり10年以上にわたって高いレベルを保ち続けている。
思い出も多い。、今や12歳になる駄犬が生後2ヶ月半で我が家にきた直後、ここで食事をしながら相談して、命名した。むろん、当時「小さい」からドイツ語の「Klein」をとって、「クライン」となったことを、御本犬は知る由もない。修業時代からの友人の一人で、今や九州某県で学部長まで務めるY女史の学位修得を祝ったのも、ここだ。
今日は、「芝海老と黄ニラの塩味炒め」と「牛肉と苦瓜の豆鼓炒め」がスペシャリテ。ともに味は少々濃いめだが、過不足ない火の通り加減で美味い。いつもならのあとは、紹興酒なのだが、メニューで「中華に合う」と薦めていたシェリー酒を試した。やや辛口のオロロソの濃厚な味わいが、成る程、中華の油を切っていく。なかなか、おつなマリアージュに満足。中華4000年が育んだ文化が、ユーラシア大陸の遙か彼方イベリア半島の恵みと出会ったことに、乾杯

「錦繍(きんしゅう)」


天王洲の銀河劇場(以前はアートスフィアといった)で、「錦繍」を観賞。宮本輝の原作小説を、 ミュージカル『レ・ミゼラブル』『キャンディード』『ベガーズ・オペラ』などで知られる英国人ジョン・ケアードが劇作・脚本・演出、音楽担当の若手尺八奏者・藤原道山が生演奏で 参加、出演は鹿賀丈史、余貴美子、高橋長英、馬渕英俚可、西川浩幸、西牟田恵ら。

ちなみに、【錦繍(きんしゅう)】とは、 (1)錦(にしき)と刺繍(ししゆう)をした織物、立派な衣服。 (2)美しいものをたとえていう話。

 往復書簡の形で書かれた原作小説の世界をほぼ忠実に舞台化し、静謐な空気が漂う。
「前略。蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて本当に想像すら出来ないことでした。」
 偶然10年ぶりに、前夫・靖明と再会した亜紀が、衝動的に書いた手紙からを幕を開け、非常に簡素な舞台装置のなかで緻密な演出が、実に演劇的な空間を創り出した。演技とは肉体表現だったのだと再認識させるような、小道具と云えば主人公二人が持つ手紙ぐらいのなかでの演技は、役者の生の力量を曝す。だが、遜色を感じる者はいなく、迫力さえ感じさせる。
 様々な、時に劇的な場面展開があり、藤原道山の尺八が鮮烈な効果を演出する。さらに、モーツァルトのレクイエムが印象的だ。だが、何故か全体は緩やかで心地よい主旋律が流れているようで、それはまるでバッハのフーガを聴く感覚にも似る。
 芝居は、運命に翻弄され、別の道を歩みながら、生と死を見つめることになった主人公二人が手紙のやり取りで過去を振り返る形で進む。
 「生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかもしれない。」
 劇中で何度も語られるこの言葉は重く暗いが、実は、死ではなく生への信仰告白であったのかもしれないと、感じられ..........
やがて舞台は、希望を呈示して幕を下ろす。
 人間のもつ業の深さ故、運命に翻弄され、苦しみもがこうとも、いつかは真実の愛に出会い癒される。 
 まさに、
 業が紅く染めた血は拭われ、世界は錦繍の文様に飾られる。

大人が見るべき、よい芝居だった。

2007年7月22日日曜日

浅蜊フライ


7月22日。今晩の新作は「浅蜊のフライ」。元来、連れ合いの実家である鶴見のうちでは、浅蜊の剥き身を葱とかき揚げにするメニューがあった。葱嫌いの私の為に葱が玉葱に変わったが、このかき揚げが絶品。浅蜊のジューシーさが閉じこめられ、玉葱の甘さとあって口の中で広がる どうも、鶴見あたりでは珍しくもないかき揚げらしいが、他では見かけない。駅ビルの魚屋でも、生浅蜊の剥き身を売っている土地ならではか。
 昨日、生麦魚河岸通りの魚屋のおばちゃんに、「・・・そうそう、かき揚げも美味いよね。でも、フライも美味いんだよ。ほら、こういう風に串に刺して、揚げるんだ、やってご覧」と、実演つきで秘術?を伝授された連れ合いと、「お茶屋のおかみさんが、わざわざ駅向こうのおそば屋さんまで食べに行くんだって。ビールが美味しいらしいわよ」と鶴見情報通の義母(揚げ物上手)が共同制作した「浅蜊のフライ」。浅蜊の大きさの割に衣が多いというアンバランスはあったが、それは初制作故に致し方なし、が、これまたおつなもの。たしかには進む。
また、海ご飯のメニューが増えた

2007年7月21日土曜日

海の幸


朝、連れ合いが生麦で仕入れてきた海の幸で、晩餐
何と言っても初夏といえば、「新子(小鰭の子)」だ。特に今晩のは、一匹が小指大。それでもしっかり小鰭の味がする。さらにやはり、時季もの「生鳥貝」、「本ミル貝」、「赤貝」、「平貝」、青森産という「蝦蛄」も旨い。「ほや酢」もたまらない、アミノ酸たっぷりの濃厚な味と爽やかな苦味のアンサンブルが、今日は特に絶妙
「もう、バカ屋が一軒もなくなっちゃったみたい」と、連れ合いの報告。青柳(バカ貝)だけを売る我が家での通称「バカ屋」が、生麦魚河岸通りには2,3軒あった。
 「(青柳は)フライも美味いんだよ」と、教えてくれた老夫婦二人の小さな店がなくなって久しい。たまたま店じまいの日に行き合わせて買い物ができたら、「いつも買ってくれて有り難うね」と、何度も何度も頭を下げて見送ってくれたおばちゃんは元気だろうか。
 おばちゃんが教えてくれた「バカのフライ」は抜群に美味い。が止まらなくなる
そして、最後の「バカ屋」もなくなったという。

陳麻婆豆腐




7月21日、昼食は本格正統の麻婆豆腐を陳麻婆豆腐で。こちらは二回目の訪問。
飾り気など無いシンプルな小丼でだされる麻婆豆腐は、豆板醤の赤に豆腐の白のコントラストが鮮やか、さらに油がつやを出して眩しい。立ち上る芳香は、すでにそれが、ただものでないことを主張する。「日本人、おまえに正統がわかるのか」  
 中国四千年に敬意表し、心してレンゲですくうと、静かにそれを白飯の上にのせる、とろみのある麻婆ソースが米粒の間を流れ落ちるか否やで、再び飯ごとすくい上げて口にいれる。瞬間、舌を打つ辛みと旨味、鼻に抜けていく濃厚な香り、頭の芯に響く。
辛い
容赦なく辛い
だが、辛みとは深みであると、確かな実感が確信となる。
気分は四川
 咀嚼嚥下後に舌に残る痺れを楽しみながら、はるか四川省成都からのおくりものに感謝
麻婆豆腐の丼にはペッパーミルが添えられる、中身はなんと(当たり前か?)花椒(ホアジャオ)だ。
いわゆる中国山椒、英名 Szechuan pepperで、日本の山椒(英名Japanese pepper)とは同属別種カホクザンショウ。漢方では蜀椒とも呼ばれ健胃、鎮痛、駆虫作用があるとされているらしい。

挽きたての花椒を加えると、麻婆豆腐はさらに刺激を増す。
だが、汗は止まらない

2007年7月18日水曜日

初もの


中国からお取り寄せ(「最近中国産は危ないって云うけど、これは大丈夫だって」と注釈付)の松茸を頂戴した。初もの、大好物の土瓶蒸し煮にていただく。
香りは「今ひとつだった」とSさんのご感想だったが、いえいえお見事 しかも姿も立派(カナダ産の白キクラゲ様とは違う)、こればかりは中国産に感動、感謝

タンカレーNo.10

日曜日の夜は久しぶりにホテルにいた。夕食後はバーで一杯。カウンター越しに、いつものように「ドライ・マティーニを」と注文。すると「ジンのご指定はございますか?」と尋ねられた。この問はたまにあるが、いつも答えは決まっている。「こちらのスタンダードで結構です」と言おうとすると、一瞬早く「タンカレーNO.10というのがあるんですが、いかがでしょか?」「えっ、ナンバー・・テン・・? じゃそれで」。ついつい悪戯心に灯がついた。
マティーニはドライが真髄、だからジンはドライ中のドライ、タンカレーだ、と。一杯目のマティーニに満足できないと、「ジンはタンカレーにしてもう一杯」と注文していた生意気盛りの頃もあった。
今はバーテンダーとの邂逅を楽しみ、その技を知るためにジンは指定せず二杯目も注文しない。
目の前に取り出されたタンカレーNO.10は、今までのタンカレーの無骨なイメージのボトルとは全く違って、洗練されたスマートなデザイン。
そして、それでできあがったマティーニは、ドライだがことなくソフトな華やかな、初体験の味わい
もう少し味わったくて、「さっきのNO.10でジントニックを」と二杯目を注文。
初夏の夜、新たな出会いにごきげん。

2007年7月15日日曜日

台風4号せまる東京タワー



頂きを 雲につきさし 嵐まつ

  
                                  7月14日18時半  芝公園にて

絶品 「目白 太古八」



13日夜は、目白「太古八」で会食。このお店、今回会食のお相手の行きつけだそうで小生は初見参。目白駅からもほど近く目白通りから一本入った目立たないところにあるが、凄い、とてつもないハイレベル。
 いわゆる創作和食というのかも知れないが、正統真正な会席料理をはずさない、繊細な食材の特徴を見事に活かし、しっかりとした味わいに昇華させている。
今晩のような会合は、話が中心になってしまうので料理の味は大方記憶が薄くなるのだが、ここは違う。鮮烈だ。 
まず最初の出された麦茶から、もうただものではない。控えめな香ばしさと爽やかな香り、美味い。
やがてメンバーが揃い、うすはりのグラスで出される生ビールが喉を潤す。
「水なす」といって供されただろうか、出し汁をふくませた茄子、添えられた赤胡椒がほのかなアクセントとなって印象的。
 苦味という味覚が好ましいものだと実感させる稚鮎と口直しになる手長海老の揚げ物。
 敢えて山葵を醤油に溶いて上からかけるように奨められた本鮪の刺身、成る程脂が鮮烈な山葵の香りで切れていく。
 広島太田川産の鮎の塩焼きは当然頭からガブリとやる。
 眩しいほどオレンジ色に輝く利尻雲丹のゼリーよせ冬瓜添えは上品な薄味でほっとさせる。
 オックステールシチューとのチョイスに迷いながら選んだ名古屋コーチンのもつ煮、雑味のない味に観劇して一気に。
  デザートに出されたスモモ、ブルーベリー、そして飾りのように添えられた超ミニトマトのどれが、しっかりとした味でご立派。大満足だった。


おそらく、昨今いただいた和食のなかでは、間違いなく一二を争う美味さだった。

2007年7月13日金曜日

朝顔が見守る住宅展示場の謎


犬の散歩コースに朝顔の立派なうちがある。涼しげな青の朝顔が壮観だ。朝顔の漢名は牽牛、古代中国では高価な薬で牛と取引されたほどのものだったことに因むという。これ程の朝顔なら、牛何頭分だっただろうか。

さて、朝顔のうちからほど近く、「**駅周辺町作りのための土地」と市役所が立て看板を立てている場所だが、ご立派な住宅展示場となっている。
片目にみながら、いつも、住宅展示場と町作りの深遠な関係を悩んではいるが結論がでない。かつては、国鉄民営化後に北海道からJR東日本に転籍した人と家族の為の住宅があった場所、その後一時期はコスモスが咲き乱れる広場だった。
 好むと好まざるとに係わらず人生を翻弄された家族の思いを、コスモスが優しく抱き、今はそこでは新たな幸せを夢を語る若い家族が憩う、それを朝顔は見守る。

市が管理する土地が住宅展示場になった謎はいつか解いてみたい。

2007年7月12日木曜日

きっと、未来とつながって.....欲しい


市役所で見かけたさわやかポスター、なきたる参院選挙の宣伝「きっと未来とつながっている」
とても「(明るい)未来とつながってる」とは思えない昨今の世相を思うと、(語尾は?)断言ではなく希望的観測に解釈できるのだが

2007年7月11日水曜日

追憶のヴァンセーヌ


都内に出かけた連れ合いが洋風惣菜を数点仕入れてきた。ある日の夕食はそれが並んだ。ついついワインもすすむ。
渋谷にかつてヴァンセーヌというビストロがあった。さほど広くはないが、清潔で明るい店内は居心地よく、フランス帰りの酒井一之シェフの気取らず正統なフランス料理が素晴らしかった。フリュート型のシャンパングラスで供された伊勢エビのコンソメスープのエスプリに感動し、ロックフォール風味のソースでいただく鹿肉のステーキの初体験の味に唸り、鴨胸肉のソティのあとで出された骨付き腿肉のグリルの量に驚き、何度となく驚嘆と歓喜にみちた至福の時間を過ごしたことだろうか。
今、ヴァンセーヌはないが、なんと池袋ショッピングパーク(ISP)でその料理のいくつかが手に入る。それを肴に、追憶のビストロ ヴァンセーヌに乾杯 二本目のワインがあいてしまった。