2007年9月17日月曜日

鶴見今昔下野谷あたり

鶴見、とくにその下町あたりを歩くと、沖縄姓の表札を目にすることが多い。沖縄料理を掲げる小さな店も多い。
高度経済成長を支えた京浜工業地帯のまさに中核として、川崎・鶴見の臨海部には鉄鋼や電気機械、繊維など重工業関連の工場が立ち並んでいた。その労働力として、沖縄の若者が期待され、30年ほどまえには毎年100人以上が集団就職として上京し、川崎・鶴見周辺の企業に就職したという。やがて、リトル沖縄と呼ばれる地域もできた。
最盛期、工場は24時間で、夜勤明けの工員が疲れを癒し、寝酒代わりの一杯を提供するため、この地区の酒屋の開店は早い。その店の脇には、立ち飲み処まである。それが、鶴見下町の常識。

最近は何故か、南米系の方々が増えた。南米料理、ブラジルパブなんて看板も目につくようになった。

各地にお祭りに花を添えるサンバ隊の三婆の拠点となっているという、真しやかな噂は・・・・・・・・・ない。

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