2007年8月29日水曜日

天香楼 絶賛



中国八大料理とは、魯菜 (山東料理)、川菜(四川料理)、粤菜(広東料理)、閩菜 (福建料理)、
蘇菜 (江蘇料理)、浙菜 (浙江料理)、湘菜 (湖南料理)、徽菜 (安徽料理)。
そのうち浙江料理の代表が、杭州料理だ。日本ではあまりなじみがないが、淡白、香り高さ、歯ざわりのよさ、若い柔らかさ、爽やかさ、旨みを特徴とし、広東料理の様な華やかさや、四川料理のような刺激性とは一線を画している。
その杭州料理を掲げるレストランが、亜都麗緻大飯店(THE LANDIS TAIPEI)の天香楼。
現時点で私にとって、最高のチャイニーズレストランと評す。
既に、5回は訪れており、ここでの食事が台北滞在の目的でもあり、必ず旅行社を通じて予約を入れることにしている。

今晩はほぼ満席状態。日本語メニューを見ながら、しばし熟考。今回ははりこんで、2600台湾元のコースを選択した。


一皿目は、何故か蟹の器に入ったむきエビの炒め物。杭州名産の龍井茶と炒める龍井蝦仁が名物だが、そのバージョンアップタイプ。絶妙の塩味がたまらない。


二皿目は牛ヒレ肉ステーキ干し鮑添え。これは絶妙の火加減で、肉も貝も柔らかい。


三皿目は、フカヒレのスープ。実に上品な上湯に云う事無し。


四皿目は、これも杭州料理でよく出される田鰻の炒め物。見た目以上にさっぱりとした味付けだが、旨味は十分。


五皿目は、白身魚の甘酢あんかけ。ほのかな酸味が爽やかな一品。
さすがに、腹いっぱいになってきた。



六皿目はお食事、炒飯の豚足添え。
連れ合いはギブアップしたが、これがまた美味い!!



七皿目にフルーツ。



八皿目はデザートだが、甘すぎるのと満腹で、途中棄権を余儀なくされた。

天香楼で食事のできる幸せにひたすら感謝。

六福皇宮快適寝台



台北宿泊は南京東路の六福皇宮(ザ・ウェスティン・タイペイ)。今回初めての利用だが、ウエスティン自慢の「ヘブンリーベッド」に興味津々だった。五つもある枕の使用方法が不明だが、柔らかめのスプリングが体を包みこむようで、確かに快適。
部屋は広く、割とシンプルで快適だ。
荷物を置くと、早速、ホテル周囲を一周散歩して、風呂上がりに飲むビールを買うコンビニを物色する。台北はコンビニが多い、部屋での飲み物は、コンビニで買う方が当然安いし、種類も豊富だ。

大禹嶺礼賛、文山包種称賛




台北市街地に入り、ガイドの陳さんお勧めのお茶屋さんへ。ガイドさんに連れて行かれるお茶屋は、たいがい土産物屋の片隅で雑ないれ方でたいして美味くないお茶を飲まされる事が多い。それも、観光ガイドさんのおつとめと察してお付き合いするのだが、今回案内されたお茶屋は、市内でよく見かける普通のお茶専門店。客は我々だけで、片言の日本語を操る店主が迎えてくれた。まずは試飲をと勧められて座った目に前の棚に、高山茶の至宝「大禹嶺(ダイウレイ)」の茶缶が並んでいる。台湾中部、標高2600メートル以上の高地で採れる最高級の高山茶のひとつだ。このお茶を、渋谷の華泰茶荘で初めていただいた時の、鮮烈な印象は忘れられない。その力強い清香、口中にひろがる自然な甘みに、言葉を失ったものだ。
「大禹嶺ですね」と指摘すると、なんと店主は試飲させてくれという。この稀少高山茶を試飲させるお茶屋は初めて。驚いている間に、店主は、蓋椀で手際よくいれ茶海から聞香杯に注いでくれた。香り高く、しっかりとした高山気(山頭気)を感じ、当然美味い。
しかも値段を尋ねてみれば、日本とは比較にならないくらい安い。
陳さんの通訳も頼って、ついつい店主とお茶談義、蜜香高い「東方美人茶」も試飲。
かつて欧州社交界に魅了し台湾茶の代名詞ともなったこのお茶について、店主の講釈を拝聴。
さらに、包種茶を所望してみた。花香に優れるこのお茶は、普段最も飲む中国茶。願いがかなうことを意味する「中」(種に発音が近い)を「包」んでくれるとして、台湾では縁起の良いお茶とされている。包種茶は、多くの烏龍茶のように、茶葉を球状または半球状にする団揉をしない。だが、店主が自慢げに見せる包種茶は、団揉されたもの。「これで保存も長くできるようになった」と。そしてその味は、期待以上の花香と清涼感あふれる逸品。
思わず買い込んでししまったが、大満足。

蒋中正彫像哀愁







資料館前脇には、広大な慈湖紀念彫塑公園がある。

蒋経国没後、副総統だった李登輝が総統に昇格したが、これは台湾政治史上画期的な出来事だった。1949年蒋介石・国民政府と共に台湾に移住したきた外省人でははない、本省人初の総統誕生だったからだ。やがて、国民党政権そのものが倒れ、民進党・陳水扁政権が成立する。
蒋介石に対する個人崇拝は否定され、中正(蒋介石の名)国際空港も、桃園国際空港と改名された。台北の壮麗な中正記念堂でも衛兵交替が廃止され、巨大な蒋介石雑煮はシャッターが下ろされたと、ガイドの陳さんが云う。
台湾各地にあった銅像も撤去されたが、それらの多くがここに集められた。広い園内に蒋介石像だらけ。壮観と云えば壮観。しかし、それらは何故か哀愁を感じさせもする。

慈湖哀愁





大陸反攻を誓いながらかなわず無念のまま没した蒋介石が、生前「故郷、浙江省の景色に似る」と好んでの避暑に訪れ、母親を懐かしむ思いを込めて自ら名付けた景勝の地「慈湖」。
今は、蒋介石、蒋経国親子二代の陵墓となっている。
今回の旅で、是非一度訪れてみたいとリクエストした。
限界の地・大渓から車で30分とかからない。舗装された山道を登っていくと、突然、眼前に巨大な蒋介石の座像が現れる。そこが入り口、広大な駐車場があって、その突き当たりは蒋親子の資料館。
国父・孫文に従い辛亥革命に参加、国民党右派のリーダー、やがて中華民国初代総統となった蒋介石。1969年頃から実質的な最高権力者であり1978年からは総統として台湾のインフラ整備に尽力した蒋経国。二人の歴史が写真と遺品で簡単に示されている。小さいが、なかなか見ごたえのある展示だ。

日清戦争後の下関条約で清朝中国から割譲され日本統治下にあった台湾では、1945年の日本の連合国への降伏により、蒋介石率いる中華民国・南京国民政府が日本軍の武装解除をおこない、同年10月の日本軍の降伏式典後に、台湾を統治する機関・台湾行政公所を設置した。1947年2月28日には後に大きな遺恨を残す二・二八事件が勃発するが、徹底的な弾圧によりこれを抑えた。やがて、中国本土でのいわゆる国共内戦に敗れた蒋介石が、1949年に兵と南京国民政府を引き連れて台湾に移住し。こうして、事実上蒋介石・国民政府による台湾の直接統治が始まった。
その蒋介石は1975年4月5日、息子、蒋経国も1988年1月13日にその生涯を閉じた。

資料館から湖沿いを7、8分歩くと、森の中に簡素な四合院の建物「慈湖賓館」がある。衛兵に守られたここに、大理石の棺が安置されその中に蒋介石が眠るという。その前で静かに手を合わせた

蕃界をのぞみて豆干を食らう



空港で今回のガイド陳さんと落ち合い、車で南下して大渓へ。大渓はかつて、限界の地。つまり台湾北部の大動脈・淡水河を舟で遡れる限界であった。それは漢化=文明化された土地(社会)が、先住民の地である「蕃界」につきあたる限界の地という意味でもあった。この地も元々は先住民のもので、「トアコオハム」という彼らの地名が、「大嵙崁」と当字され、日本植民地時代に「大渓」となった。当時の「蕃界」はまさに資源の宝庫であり、河を下って海へ出れば、東シナ海。大陸や東南アジアの諸港へとつながる。大渓は、特に樟脳や茶の流通で栄えていたという。
だが今は、お世辞にも賑やかとは云えない。和平路の老街(昔ながらの街並みを残した通り)が有名で、昔の台湾の面影が残し、立ち並ぶバロック様式の建物と上部にほどこされたレリーフが珍しいが、他にみるべきものはあまりない。
地元の名物というは「豆干(小さく切った豆腐を布でくるみ、香料と煮てから乾燥、あるいは薫製にしたもの)」を、ガイドの陳さんに御馳走になった。豆干にかけた大蒜醤油の香りが食欲を刺激するが、機内食の満腹状態と暑さでやや食傷気味。しかし、なかなかおつな物ではある。

美麗島到着




爆発も炎上もせず、無事、台北桃園国際機場へ着陸。
美麗島への11回目の上陸
ちなみに「美麗島」とは、ポルトガル語が語源。ヨーロッパ船として初めて台湾に到達したポルトガル船の船員が、緑に覆われた台湾島に感動して「Ilha Formosa (麗し島)  」と叫んだという伝承にはじまる。そこから、台湾の別称である「Formosa(フォルモサ)」が生まれ、その中国語訳が美麗島」。
正式には中華民国台湾省。

空港内に、働くビーグル犬のポスターを発見。我が駄犬を思う。「ウチのは・・・」
それにしても、恐るべし携帯電話 機内から出て電源ONと同時に、「お客様の携帯は日本と発着信が可能です・・・」とショートメールがはいる。入国審査待ちの列では、既に到着報告をする日本人女性までいて・・

台北は天気晴朗。
気分は爽快

時差-1時間  1円=3.7台湾元

機中





食って、飲んで(は当然Taiwan Beer)、快適なフライト。中国語(おそらくは北京語)のアナウンスが、雰囲気を盛り上げる。機内は既に中華圏。
・・・かつて、多くの不埒な男子諸君憧れの客室乗務員、比較的平均年齢が上がったよように感じるのだが、China Airlineだけか?

出発




旅立ちは小雨模様のYCAT。
高速道路から、雨にかすむヨコハマを望む。徐々に盛り上がる旅情。



約70分で雨の空港に到着。
まだ、人影はまばら。
さすがに、旅気分100%!
それにしても、首都市街地からこんなに遠い国際空港って、他にあるんだろうか?

2007年8月26日日曜日

ルイ・ロデレール


夏の暑い日の夕方は、シャンパーニュが恋しい。
だが、そんな贅沢にいつもありつけるわけではない。
だから今晩のように、いただきものの一本を開ける幸せを神に感謝。
酸味より豊富な果実味を感じるルイ・ロデレールは、かつてのロシア皇帝に寵愛されたシャンパーニュとして有名。
19世紀半ばからロシア宮廷にシャンパーニュを納めていたルイ・ロデレール社に、1876年のある日、ときのロシア皇帝アレクサンドル2世からひとつの要望が伝えられた。
「朕の食卓に供されるシャンパーニュは下々が購入できるものとはまったく違うものにせよ。すなわち、瓶はクリスタルであること。また、ナプキンで覆ってサーヴするときナプキンから出るボトルの首の部分は半透明にして、それだけで朕のシャンパーニュと分かるようにせよ」
この要求に従って生まれたのが、ルイ・ロデレールの銘品クリスタルだという。
今宵は、滅亡したロシア帝国の栄華を思って乾杯

2007年8月17日金曜日

一串入魂礼賛




夜、誘い合わせて「地鶏屋 たかせん」。たっぷりと比内地鶏を味あわせてもらった。
上質なレバーを一口食べて、「わー、これなら食べられます。」と、レバー嫌いのE嬢が目を輝かす。
胡麻油で食す砂肝刺しも、「美味しい」と売れ行き順調。
若い衆に美味いものご馳走して、喜ばれることが嬉しいなんて、いよいよ自分も「オヤジ」だなと自嘲しつつ、こちらも食いかつ飲む。
もも、つくね、くび、ぼんじり、もつ竿灯。意外なほどしっかり火が入っているが、固くない、噛みしめと肉汁が口中をみたし、その余韻がさらに噛むことを一瞬躊躇させる。さすが、「一串入魂」
柚胡椒で味わうムネまで追加、それでも〆やはり親子丼
これが無ければ終われない。

2007年8月16日木曜日

「LOVE 30」


猛暑というより、暴暑と云いたくなるようななかを、 渋谷PARCO劇場へ。
スペイン坂は、半裸と見間違うばかりの青少年少女であふれるが、そんな異景をじっくり観察する余裕など無い。冷房が効いた劇場へ、とにかく逃げ込む。
ABC朝日放送深夜枠で放送された「女と男の物語」の舞台版第2弾。登場人物は男女二人、一場30分の芝居×3。TVドラマとしては、まさに舞台芝居的構成、それを実際に舞台でやってみたらが、今回の「LOVE 30」で、すべて宮田慶子の演出。
■北向きの女 作:青木 豪(グリング) 出演:純名りさ × 内田滋
■アルゼンチンにて作:赤堀雅秋(シャンプーハット) 出演:鈴木砂羽 × 尾美としのり
■箪笥の行方 作:田村孝裕(ONEOR8) 出演:小西美帆 × 羽場裕一
それぞれ、ちょっとシニカルな大人のラブストーリー。三話共に楽しめたが、特に箪笥の行方は良かった。元気でサバサバした女性を演じる小西の演技がシャープで小気味よい、それを受ける優柔不断な男を羽場が飄々と演じる。芝居全体のテンポも良かった。

観劇後、池袋に移動して、19時からK氏、T氏と納涼OFF会。4時間たっぷり語り合い、大満足。

2007年8月15日水曜日

特別な日

半旗掲げる交番を見かけた。
今日は、「貧しき者が憂う事なく、弱き者が悲しむ事なく、病める者が泣く事のない、明日に明るい希望を抱く事ができる、..大きなお日さまのように暖かく、まばゆいばかりの幸せに満ちた国。愛する事が、信じる事が決してみじめな勇気を必要としない国」(つかこうへい戯曲「飛龍伝」より)の為に命を落とした人々に敬意を込めて祈り、その思いが報われるように我々が誓う日だ。

2007年8月14日火曜日

イタリアンの魔力






20年も前は、街中にフレンチレストランが林立していた。今やそのステータスを奪ったのは、イタリアンだ。シティホテルのメインダイニングが、フレンチからイタリアンに変わったところも少なくない。当時、所謂高級イタリアンレストランが、都内にもでき始め、イタリア料理=スパゲティ=ナポリタン&ミートソースという貧困なイメージしかなかった食文化に、衝撃を与え始めていた。今や、カジュアルなトラットリアから居ずまいをたださねばならないようなリストランテまで、あらゆるシチュエーションで利用できるイタリアンの飲食店が街中にあふれている。
だが、「思い立ったら、イタリアン」。そんな我が儘が許される気軽さが、イタリアンの真骨頂と勝手に思っている。
 以前、知人に紹介されて、何度も利用したイタリアンレストラン「Z」だが、何となくタイミングが合わずに、ここ1年以上ご無沙汰。だが、今日「思い立った」。
 シェフ一人で切り盛りする小さな店だが、味は間違いなく一流。久々の邂逅jに胸が高鳴る。
挨拶を終えて、まずは水を注文した。今日のように暑い日は、ガス(炭酸)入りミネラルウォーターが喉と身体を癒してくれる。以前は、銘水サンペリグリノが供されたのだが、見たこともないボトルがでてきた。訊けば、ナポリの水で7歳以下は引用禁止の硬水。
爽やかに喉をくすぐる炭酸としっかりとした重み、後味にほのかな苦味を残していく。こういう水は大好物だ。
水に感動するうちに、皿にすき間無く並べられた前菜の盛り合わせが登場。特に、茄子のカポナータは絶品。スプマンテで乾杯このあたりで、既にイタリアンの魔法にかかってしまう。
二皿目は、フレッシュ・サンマルツァーノトマトのソース、ズッキーニとパンチェッタの二種のパスタ。夏らしい一皿だ。「最近は日本でも作るようになったので、サンマルツァーノトマトのフレッシュが手にはいるようになりました。今が最盛期です。」と、シェフ。 くどくない酸味がパスタを引き立てている。さらに秀逸なのが、塩味うすめのパンチェッタで味付けられたズッキーニとパスタ。ズッキーニがこんなに美味い野菜だったのかと、再確認。当然だが、完璧なアルデンテに茹で上げられたパスタが上質のオリーブ油と絡まり、歯ごたえ喉ごし共に申し分なし。
でも、ここで終われない。魔法がかかった胃袋をイタリアンモードにギアチェンジ。
この店で初体験した感動のカラスミのパスタと我が青春の思いでであるボンゴレ・ビアンコを追加注文。カラスミを粉状にしてまぶしたパスタに、ルッコラが少量あえてある。このパスタとドライな白ワインとの相性の良さに異を唱える者はいないだろう。ボンゴレも浅蜊のジュースがパスタにしっかりと味をつけ、瞼を閉じれば潮騒の音が聞こえそう。
 ボンゴレ・ビアンコの思いでは30年前、原宿表参道にあったイタリア料理屋「トスカーナ」。仲間と折ふれては集まり、そこでいつも注文したパスタだった。ナポリタン&ミートソースから卒業させてくれたイタリアンの原点とも云える。そんな、イタリアン体験をシェフに語りながら、ついに二人でパスタ4人前を平らげてしまった。
連れ合いがデザートを頼むと、リコッタチーズのレアチーズケーキが登場。しかも、レモン風味のグラッパがトッピング。黙ってられない「ぼっ僕にも下さい」と、思わず。当然、グラッパ、ついでにレモンリキュールもお味見。さらに、高級グラッパも口開けを一杯頂きながら、イタリアワイン談義。なかなか魔法はとけない・・・

食べ、飲み、語る、イタリアンの魔力は侮れない。
 でもその魔力で、幸せな時間が過ごせるこは確か。

2007年8月11日土曜日

美酒に酔いしれる夜



暑いまさに猛暑だ。
昨日あたりから、キリリと冷えて日本酒が飲みたくなった。
第1候補はやはり居酒屋「N」、お盆休みでは無いだろうかと不安だったが、「夜は通常営業です」と、心強い。
緊急招集に応じてくれた飲み仲間二人と17時過ぎから開始。
日本酒の品揃えなら屈指と云って良いところだが、まず一杯目はやはり「十四代」。この酒の感動はいつも変わらない。
 今や最も手に入りにくい酒となった「十四代」、最初に口含んだときに、まず自分の清酒に対するイメージの貧困さに打ちのめされる。何という鮮烈な芳醇さ、たとえようもない艶やかな旨味、それはまるで囁くように全身を駆けめぐり、しかし確実に印象として刻まれたいく。
 「俺は清酒で天下を取る。お前は焼酎で天下を取れ。」そう言ったという当時東京農大醸造学科の学生だった高木顯統氏は、その後25歳の時に故郷山形県村山市で無名の酒蔵の十五代目として酒造りを始めた。杜氏の引退という事態を受け現場経験無しに、造りたい酒のイメージだけで、多く人の手と知恵を借りて醸したのが、この銘酒「十四代」だ。理想に向かって折れず、真摯につくる、その姿勢は裏切られなかった。ちなみ、高木青年が「天下を取れ」と言った相手は西陽一郎氏、鹿児島件日置市の西酒造を継ぎ、「富乃宝山」、「吉兆宝山」を生み出した。物づくりに情熱を傾けるすべての人に乾杯。彼らの思いが報われる日を祈って
さて、二杯目は「醸し人 九平次」-平成9年に彗星のごとく登場して瞬く間に日本酒界を席巻した「平成の奇跡」-をいただく。香り高く、しっかりとした旨味があり、後キレが良い。絶妙のバランスを見事に維持している。
いつものように、少々飲み過ぎたが、満足。
 
惜しむらくは、肴のメニューが変わり、これはと思うものが無くなった。スタッフの日本酒についての知識も明らかにレベルダウン高いクオリティーの継続はどこでも困難なようだ

二次会は市内居酒屋「T」にて、仲間一名増員。
後半、寝てました

2007年8月9日木曜日

「ロマンス」


新宿紀伊国屋ホールの椅子の座り心地は良くない。(デブには)狭いし、クッションが悪くて長時間の鑑賞には耐えられない。急ごしらえの劇場を除けば、座り心地の悪さでは下北沢本多劇場と双璧をなす。
だが、三軒茶屋世田パブリックセンターの二階席も、窮屈さと座り心地の悪さでは、これらに並ぶだろう。急勾配の階段教室状に作られた席は、確かに舞台を見渡すとき死角がない、が座面も高く背もたれがほぼ直角では疲れる。これで1階フロア席と同じS席料金は、納得いかない。
 
 早めの夕食後は、本日二つ目の観劇、こまつ座&シス・カンパニー公演「ロマンス」(作・井上ひさし、演出・栗山民也)鑑賞の為に三軒茶屋へ。余談だが、芝居を見に行く小屋としては三軒茶屋は最遠方、渋谷から東急田園都市線に乗ると、もはや我がテリトリー外。それでも出かけていくのは、今回 大竹しのぶ、松たか子の共演、段田安則、 生瀬勝久、木場勝己ら芝居巧者に、ミュージカル界の貴公子・井上芳雄が加わるキャスティングに惹かれて。最初に狙った公演日はとれず、抽選でやっとチケットを確保できたのが、今日。
芝居は偉大なる劇作家アントン・チェーホフの一生が題材。チェーホフを男優陣が年代別に次々と演じていく、妹マリア・チェーホワに松たか子、妻オリガ・クニッペルを大竹しのぶ。実はヴォードビル(おそらく笑劇仕立てという意に解すべきだろう)を愛し、自らの戯曲もヴォードビルだという。うーーん、難しい。あの名作「かもめ」、「ワーニャおじさん」「三人姉妹」「桜の園」が、笑劇??とは、かえって解釈が難解だ。
芝居そのものは、表現力豊かな役者陣のおかげで楽しませてもらった

桃園豚に恋して




実は、豚肉があまり得意ではない。脂身の香りが好きじゃない。
だから、自ら望んで食べるlことは無いのだが、例外はヒレカツ。脂身が少なく食べやすい。さらに、例外は桃園豚のヒレカツ。これは、わざわざ食べに出かける。
桃園豚は中国原種豚を品種改良した銘柄豚なんだそうで、これは旨い。
新宿高島屋14階「かつくら」へ通うのも、この桃園豚を食べたいが故。
紀伊国屋ホールで芝居がはねた後は、早めの夕食で、久々に「かつくら」。


最近リニューアルしたようで、以前よりゆったりとした内装になった。
注文後しばし胡麻を摺りつつ待つ。京漬け物も美味だ。

麦ご飯がお櫃で供され、準備万端。そこへ、とんかつが堂々と登場する。
肉質の良さは言わずもがな、噛みしめるとジューシーさに気が遠くなりそうになる。
美味い只管美味い、飯が進む。

一時期、やや揚げ方にムラがあったが、今日はそうでもなかった。満腹で店を後にする

「売春捜査官」


新宿紀伊國屋ホールで北区つかこうへい劇団「売春捜査官2007」を観賞。
観劇前の昼食は紀伊国屋書店ビルBF1のモンンスナック。カウンターだけの小さな店だが、サラサラカレーが絶妙。最後の一滴まで皿を舐めたくなる。
 つかこうへい作「熱海殺人事件」をベースにした芝居は、常に進化し続け、今や何バージョンあるのだろうか。主役の木村伝兵衛部長刑事を女性が演じる「売春捜査官」も、そのひとつで、かつての大分つかこうへい劇団・由見あかりのが鮮烈だった。それを女優・黒谷友香が演じる再演。一昨年の別バージョン「平壌から来た女刑事」では、ただ怒鳴っているだけ、台詞の棒読み(しかも噛みまくる)、「努力は認めるけど....」という状態だったのだが、去年「売春捜査官2006」では全く違っていた。まさに、つか芝居で黒谷が化けた。堂々たる木村伝兵衛を演じた。その後「蒲田行進曲 〜城崎非情編〜」でも、小夏役の好演も目立った。
さて今年は、幕が上がりタキシード姿の黒谷登場、その瞬間からグイグイと舞台に引っ張られるような迫力。感情表現が豊になり、激しいつか芝居を自分のものにして緩急強弱をコントロールしている。顔を真っ赤にして涙をためながら、それでも声はしっかり出ていて台詞が聞き取れる。実に見事な演技に拍手。
 「ったくもう。何度言ったらわかるんです。もう女が男に幸せにしてもらう時代じゃないんです。女も幸せは自分のその手で勝ち取る時代なんです。」
 熊田留吉刑事に武田義晴、犯人・大山金太郎役で小川岳男と、つか芝居常連の役者が脇を固め、二時間を堪能させてもらった。

被爆のマリア像


史料によれば、広島に原爆投下がおこなわれた1945年8月6日二つめの原爆がテニアン島で組み立てられた。それは、8日、アメリカ陸軍在グアム第20航空軍司令部野戦命令17号によって、8月9日投下、第1目標は小倉、第2目標を長崎と決まった。同日、日ソ不可侵条約は破棄され、ソ満国境が侵された(ナガサキが東西冷戦の犠牲になったとの説の所以ともいえる)。 8月9日9時44分、投下機B29ボックス・カーは第1目標である小倉上空に達したが、目視による投下目標確認失敗を3回繰り返すうち、天候が悪化、対空砲火が激しくなり、迎撃機の発進も確認された為、投下目標を変更し、、午前10時30分頃、小倉市上空を離脱した。午前10時50分頃、長崎上空に接近するも、そこは厚い雲で覆われていた。目視爆撃が不可能な場合は太平洋に原爆を投棄せねばならなかったが、雲の切れ間から長崎市街が一瞬眼下に覗いた。高度9000メートルからMk-3核爆弾ファットマンは投下され、1945年8月9日午前11時2分、長崎市街中心部から約3km離れた別荘のテニスコート上空、高度503mプラスマイナス10メートルで炸裂した(松山町171番地)。
投下機を含む二機のB29は長崎市上空を旋回、被害状況を確認し、テニアン基地に攻撃報告を送信した。 
 長崎を090158Zに有視界で爆撃した。戦闘機の迎撃も、対空砲火もなし。結果は「技術的には成功」といえるが、他の要素のため、次の行動に移る前に、会議が必要である。外見上の効果は広島と同じ。

長崎原爆はプルトニウム239を使用する原子爆弾で、TN火薬22キロトン相当、広島原爆の1.5倍の威力であった。
当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約14万8千人が死傷、建物の約36%が全焼または全半壊したという。 
 東洋一の壮大さを誇った浦上天主堂も無惨に崩れ落ち、被曝したマリア像が、深い悲しみと怒りを伝えることとなった。その表情を前にして、何を語れるだろうか。

2007年8月6日月曜日

22645日

今年も8月6日の朝が明けた。22645日前の8月6日も、月曜日だった。
人が人がどれほど残酷になれるのか。人類が愚かさを示した月曜日だった。

アドルノの「アウシュビッツ以降、詩を書くことは野蛮だ」という言葉は有名だが、その意味は深遠だ。
社会、文化批判であることは明らかだろう。アウシュビッツ強制収容所におけるユダヤ人大量虐殺という野蛮な事態を産んだ文化の上では、無邪気に詩を書く事など出来きない。そんなところだろうか?

ヒロシマ以降、人類愛を語ることは虚構だ。

未来は愛と平和に満ちているのだろうか

2007年8月5日日曜日

夏の風味



チェーン展開の天麩羅屋では、江戸前の粋を感じる「つな八」が一番のお気に入り。
なかでも、「蛤の姿揚げ」は外せない。ホクホクの蛤と細かくスライスされた椎茸の香りがほのかに香り、美味この上ない。
さらに今日は、夏の風味、稚鮎と鱧もいただいた。
大満足

太陽の卵は禁断の果実?


大好物のマンゴーをいただいた。
「太陽の卵」とは宮崎産完熟マンゴーに冠する美辞らしいが、実にお見事なネーミングだ。では、沖縄産完熟マンゴーは?
香り高く、甘みと酸味の絶妙なバランスの果実。
ただただ、神の恵みに感謝。
エデンの園で禁断の果実がマンゴーだったら、原罪も甘んじて許すべし

2007年8月4日土曜日

花火大会



夏の風物詩といえば、花火。
例年8月の花火大会の夜は、花火好きの友人をお招きするのだが、今年はあたふたとしてお招きする機会を失った。もしかしたら、十年以上ぶりのお客様のいない花火の日。

2007年8月2日木曜日

KFCとジャングルジムの思いで

何故か猛然と「ケンタッキー・フライドチキン」が食べたくなった、そんな時は「お届けケンタッキー」。
ビールがすすむ。

昔々、クリスマスイブに行きつけの飲み屋の席が空くのを、友人数名と近くの公園のジャングルジムの上で待つことを恒例としていた時期があった。
 つまみはいつも、ケンタッキー・フライドチキン。ビールを飲み過ぎると、ジャングルジムから落ちそうなる、その緊張感が酔わせない......。
だが、公園そのものが斜面だったので、「席あいたよ」と呼びに来られて、ジャングルジムから降りると、いつも平衡感官を失い軽い眩暈を覚えた。
 イブの夜は、そんな感覚で始まる。若き日の想い出。