2007年8月29日水曜日

慈湖哀愁





大陸反攻を誓いながらかなわず無念のまま没した蒋介石が、生前「故郷、浙江省の景色に似る」と好んでの避暑に訪れ、母親を懐かしむ思いを込めて自ら名付けた景勝の地「慈湖」。
今は、蒋介石、蒋経国親子二代の陵墓となっている。
今回の旅で、是非一度訪れてみたいとリクエストした。
限界の地・大渓から車で30分とかからない。舗装された山道を登っていくと、突然、眼前に巨大な蒋介石の座像が現れる。そこが入り口、広大な駐車場があって、その突き当たりは蒋親子の資料館。
国父・孫文に従い辛亥革命に参加、国民党右派のリーダー、やがて中華民国初代総統となった蒋介石。1969年頃から実質的な最高権力者であり1978年からは総統として台湾のインフラ整備に尽力した蒋経国。二人の歴史が写真と遺品で簡単に示されている。小さいが、なかなか見ごたえのある展示だ。

日清戦争後の下関条約で清朝中国から割譲され日本統治下にあった台湾では、1945年の日本の連合国への降伏により、蒋介石率いる中華民国・南京国民政府が日本軍の武装解除をおこない、同年10月の日本軍の降伏式典後に、台湾を統治する機関・台湾行政公所を設置した。1947年2月28日には後に大きな遺恨を残す二・二八事件が勃発するが、徹底的な弾圧によりこれを抑えた。やがて、中国本土でのいわゆる国共内戦に敗れた蒋介石が、1949年に兵と南京国民政府を引き連れて台湾に移住し。こうして、事実上蒋介石・国民政府による台湾の直接統治が始まった。
その蒋介石は1975年4月5日、息子、蒋経国も1988年1月13日にその生涯を閉じた。

資料館から湖沿いを7、8分歩くと、森の中に簡素な四合院の建物「慈湖賓館」がある。衛兵に守られたここに、大理石の棺が安置されその中に蒋介石が眠るという。その前で静かに手を合わせた

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