2007年8月29日水曜日

蕃界をのぞみて豆干を食らう



空港で今回のガイド陳さんと落ち合い、車で南下して大渓へ。大渓はかつて、限界の地。つまり台湾北部の大動脈・淡水河を舟で遡れる限界であった。それは漢化=文明化された土地(社会)が、先住民の地である「蕃界」につきあたる限界の地という意味でもあった。この地も元々は先住民のもので、「トアコオハム」という彼らの地名が、「大嵙崁」と当字され、日本植民地時代に「大渓」となった。当時の「蕃界」はまさに資源の宝庫であり、河を下って海へ出れば、東シナ海。大陸や東南アジアの諸港へとつながる。大渓は、特に樟脳や茶の流通で栄えていたという。
だが今は、お世辞にも賑やかとは云えない。和平路の老街(昔ながらの街並みを残した通り)が有名で、昔の台湾の面影が残し、立ち並ぶバロック様式の建物と上部にほどこされたレリーフが珍しいが、他にみるべきものはあまりない。
地元の名物というは「豆干(小さく切った豆腐を布でくるみ、香料と煮てから乾燥、あるいは薫製にしたもの)」を、ガイドの陳さんに御馳走になった。豆干にかけた大蒜醤油の香りが食欲を刺激するが、機内食の満腹状態と暑さでやや食傷気味。しかし、なかなかおつな物ではある。

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